ポーランドという国がある。
ヨーロッパにおいて、列強諸国の間に位置し、ナポレオンや帝政ロシア、ナチスドイツなどに占領された歴史を持つ国だ。
この国の悲劇の一つは、ポーランドの国民自身の主義主張が、どちらの侵攻勢力につくか二分した事で、国が一つに纏まらなかった歴史だという。
アジアにも、似たような地理的条件の地域がある。
朝鮮半島だ。
この地域の民族も、その歴史の中で分裂してしまっている様に見える。
現在、日本と韓国並びに北朝鮮との関係は、とても険悪である。北朝鮮はミサイルを日本に向けて発射している。これを武力攻撃と捉えないのは、おそらく平和な日本人くらいであろう。また、韓国の日本に対する主張は、昭和天皇戦争犯罪発言や慰安婦、徴用工訴訟など、日本の文化や歴史を攻撃していると言っても、間違いない状況にある。
そして、これらの問題に関して言えば、彼らと話し合いで問題解決を図るのは、至難の業に違いないのだ。
理由は、朝鮮の人々、彼ら自身が一つに纏まれないからだ。
日本に関する対応にしても、南の朝鮮人と、北の朝鮮人と、在日の朝鮮人と、それぞれ違うことを主張するだろう。その誰を相手に真面目に話し合いを行っても、結局、朝鮮全体に対する解決に繋がらないのだ。
この現状を解決する唯一の手段は、朝鮮半島の遠い目標である再統一に向けて、現実的な第一歩を踏み出す事しかないように思える。
もし、中国の力をバックにした北朝鮮主導の再統一を、人々が望んでいるのでなければ、韓国は日本やアメリカと共に、根気強く同じ方向へ歩む必要がある。
少なくとも、韓国一国の力では、再統一を成しえない以上、文在寅政権は今の政策を反省する必要があるのは明らかだ。
そしてもう一点、アメリカによる安易な北朝鮮容認が、この事態を悪化させる方向にしか動かない事を、トランプ政権も早期に理解する必要がある。
2019年11月18日月曜日
2019年11月17日日曜日
麻薬と罰の重さと社会の関係
最近、「麻薬の使用に関して、もっと刑罰を軽くする必要がある。」という主張をTVなどで耳にする事がある。
「大麻合法の国がある。」とか、「刑罰は、ボランティア活動など社会貢献活動で済んでいる。」という、外国での話を引き合いに出しての主張が多い。
この機会に、刑罰と社会の関係を、もう一度考えてみたいと思う。
刑罰の重さは、対象となる事象(犯罪)がどれだけ社会に根差しているか。という論点がある。
例えば、禁酒法を考えてみるとわかりやすい。
酒は、産業としても、娯楽としても、現在の日本社会に深く組み込まれている。健康への影響が取り沙汰されても、禁酒法は直ぐには実行出来ない。
仮に実行したとしても、重罰には出来ない。おそらくは違反者が多数出てしまい、とても刑務所に収監しきれないだろう。このような状況で国が法制化するとしたら、刑罰を軽くして、違反者を簡単に許すしか選択肢はない。
数が多くなれば、違反者はボランティア活動、という程度で許される事にも繋がるのだ。
こう考えてみると、麻薬の刑罰が軽い国には、麻薬がはびこっている事に気が付く。
麻薬がその国の社会に深く食い込み、生活の手段になり、国民の多くに使用が広まっている。その結果、重罰にしたくても出来ない、といったジレンマが生まれるのだ。
勿論、刑罰の重さや、社会貢献活動の導入は、それだけが理由では無いが、今回は社会の状況との関係を考察している。
罰を軽くした結果、日本社会がどこへ向かうのかも知った上で議論して欲しいと思う。
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