2019年12月22日日曜日

反対が無い事の意味

 今年を振り返ると、日本の大きなトピックの一つに、即位の礼正殿の儀がある。
驚くことに、批判意見は一つも報道されず、左翼の妨害活動も無かった。

 過去の伝統を重んじ、滞る事なく儀式が進んだのは、平和で素晴らしい事に違いない。
 
 しかし、何故か、違和感が私の胸に残った。

 天皇が日本国民に、本当に大きな影響をもたらす存在であるとすれば、意見、賛否の議論があって当然だ。
 それは、昭和天皇に対する日本国民の反応を見ても明らかである。
そこには必ずその存在に対する意見や、行いに対する賛否があり、マスコミが取り上げ、政治家や学者、市民が議論した歴史がある。

 日本国民の、正殿の儀に対する議論抜きの反応は、まるでフェスティバルを楽しんでいただけの様にも見える。
 天皇のパレードが盛り上がっても、それは渋谷のハロウィーン同様の、単なるイベントの一つに過ぎないのかもしれない。

 天皇が国民にとって、反対する必要もない存在になったのであれば、それは本当に喜ばしい事なのか、一度は考えてみるべきと感じた。


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