2020年8月21日金曜日

もし、交通事故死を防止したいなら

 

交通事故死を防止する為に、道路の通行を禁止する。

これを良案と思う日本人は、とても少ないであろうと思っていた。

その内、誰もがその愚に気づき、世の中も落ち着きを取り戻すと考えていた。


しかし、驚くことにこの手の考え方が、日本中の、特に地方を中心に燃え盛っている。

確かに、道路の通行を禁止すれば、事故は起こらない。が、この手の対応策が長期間継続出来ない事は明らかである。

何故、それに気づけないのであろうか。


今回の新型コロナウイルスの防止に対する、移動の自粛や往来の禁止を主張する地方の対応は、道路を通行止めにし続ける発想と同じと言って良い。

交通事故死を防止する為には、歩道を作って交通弱者のゾーンを分けたり、万一事故にあった際のリスクを軽減するためにエアバックを装備する、と言った方法が現実的であるし、ほんの半年前までは当然の考え方であった筈だ。

コロナ死を防止する為に行うべきは、全く同じ考え方である。地方の方々は、早くその愚に気づいて欲しい。


#コロナ死

#新型コロナウイルス

2020年5月1日金曜日

前半戦の敗因

 非常事態宣言を延長して、長期戦になるとの総理会見があった。
 致し方ない事だと思うが、この自粛期間の分析も反省も、全く伴わないことが気になった。
 
 失敗の、原因の一つを指摘したい。

 結核予防法という法律が昔あった。同じ呼吸器感染症であっても、今回の新型コロナウイルスにこの法律を適用したいと考える輩は居ないであろう。
 潜伏期間、治療過程が異なる疾病には、専用の法律が必要であろう事は、専門家でなくとも容易に想像できるからだ。

 パンデミックの場合は、取り敢えずの方法として現行法の改正で対応したとしても、直ちに専用の法案を準備をするのが当然だろう。
 何故、潜伏期間が2日程度、短期決戦型の “インフルエンザ” の為の対策法を今も適用し続けているのか。
 休業補償なども平時の仕組みの延長で、法に基づいた対策が上手く行かないのは当然に思えるし、アビガンに関する答弁も、現場での適切な使用が危ぶまれる。
 自分達の法律に、自分達が首を絞められているのは、何故なのだろう。

 この非常時に皮肉を書くのは、適切かわからないが、あの時代から日本は進歩していないのかと悲しく思う。
 「 自粛で一億火の玉 」
 「 欲しがりません コロナに勝つまでは 」
こんなスローガンを、厚労省がポスターにする前に、どうか総理は新型コロナウイルスに対する専用の対策法案を国会に提出して欲しいと思う。
 
 今ほど政治に期待した事は無い。
 



#非常事態宣言
#新型コロナウイルス
#アビガン
#自粛
 

2020年3月29日日曜日

新型コロナウイルスで有害なのは

 この話題のウイルスが、どれ程の殺人ウイルスなのか未だにはっきりしない。
従って、何が正しい対応なのかという断言は、私を含めて今は誰も出来ない状況だろう。
 それでも、中国とWHOのレポートを読む限り、少なくともエボラ出血熱の様な「殺人ウイルス」で無い事は確かに思える。
 例えば中国でも、19歳未満であれば、重症、重篤の割合は非常に低率だし、80歳を超えると何らかのきっかけで寿命が尽きる事は、特別な出来事ではない。80歳以上がハイリスクなのは、何れの呼吸器疾病であっても常識の範疇である。

 更には、この国には長年、流行性疾患について蓄積した知見があったのに、今回全く生かされなかった事が残念だ。
 感染が地域毎に拡大して行くのは、季節性インフルエンザの流行で良く知られている事柄であるし、学校の休校は流行に合わせて地区毎に行うことで、一気に国全体が麻痺するなどという事は今まで起こらなかった。
 そう言った蓄積から見ると、北海道で流行したからと言って、当時は発生0の埼玉県や石川県を休校にするのは、愚かしくも見える。
 
 今回の流行地域は、中国からの渡航者が多い地域だった。学校を休校にするよりも、もっと先に国外からの渡航を制限するべきだった、という政治的ミスが窺われる。
 流行の特徴にしても、東洋は、家族感染が多く、イタリアではその他の感染も多いが、東洋人は握手やハグやキスしたりする習慣がないので、そういった地域性が出るのは不思議ではない。
 医療崩壊にしても、マスコミが煽らなければ、軽い風邪症状でここまで医療機関に国民が殺到する事は、少なくとも日本では無かっただろう。
 こう考えると、起きているのは当然の事象ばかりに思える。
 混乱の大半は政治のミスリードにも見える。

 イタリアでは某市の市長が、卒業バーティーをする若者に向けて、「火炎放射器を持った部隊を送る」などと恫喝した動画を拡散しているようだが、本来国が大切にすべきは子供や若者ではないのか。
 
 日本でも同様の暴言が吐かれないか、子供達に悪い影響を与えないか、心配している。
 少なくとも現時点では、19歳未満の若者達にとって、新型コロナウイルスよりも、おかしな政治の方が、余程有害である事だけは明らかになった。


(3/31追記)
 アメリカ、ドイツなど先進国からの新しい知見が、中国、WHOの共同レポートから得た知見と相違している。若年層でも重症化する可能性が示唆されていた。
 しかし、一旦公開したブログを、内容訂正するのも潔くなく、このまま残そうと思う。
 今回、最も伝えたいのは、国民を保護する事こそ、政治の目的であるべきなのに、国民を強制的な権力で責め立てる様な状況は、危惧するべき事態だ。という事だった。



♯新型コロナ


 

 

2019年12月22日日曜日

反対が無い事の意味

 今年を振り返ると、日本の大きなトピックの一つに、即位の礼正殿の儀がある。
驚くことに、批判意見は一つも報道されず、左翼の妨害活動も無かった。

 過去の伝統を重んじ、滞る事なく儀式が進んだのは、平和で素晴らしい事に違いない。
 
 しかし、何故か、違和感が私の胸に残った。

 天皇が日本国民に、本当に大きな影響をもたらす存在であるとすれば、意見、賛否の議論があって当然だ。
 それは、昭和天皇に対する日本国民の反応を見ても明らかである。
そこには必ずその存在に対する意見や、行いに対する賛否があり、マスコミが取り上げ、政治家や学者、市民が議論した歴史がある。

 日本国民の、正殿の儀に対する議論抜きの反応は、まるでフェスティバルを楽しんでいただけの様にも見える。
 天皇のパレードが盛り上がっても、それは渋谷のハロウィーン同様の、単なるイベントの一つに過ぎないのかもしれない。

 天皇が国民にとって、反対する必要もない存在になったのであれば、それは本当に喜ばしい事なのか、一度は考えてみるべきと感じた。


2019年11月18日月曜日

朝鮮問題が解決しない理由

 ポーランドという国がある。
 ヨーロッパにおいて、列強諸国の間に位置し、ナポレオンや帝政ロシア、ナチスドイツなどに占領された歴史を持つ国だ。
 この国の悲劇の一つは、ポーランドの国民自身の主義主張が、どちらの侵攻勢力につくか二分した事で、国が一つに纏まらなかった歴史だという。 

 アジアにも、似たような地理的条件の地域がある。
 朝鮮半島だ。
 この地域の民族も、その歴史の中で分裂してしまっている様に見える。

 現在、日本と韓国並びに北朝鮮との関係は、とても険悪である。北朝鮮はミサイルを日本に向けて発射している。これを武力攻撃と捉えないのは、おそらく平和な日本人くらいであろう。また、韓国の日本に対する主張は、昭和天皇戦争犯罪発言や慰安婦、徴用工訴訟など、日本の文化や歴史を攻撃していると言っても、間違いない状況にある。
 そして、これらの問題に関して言えば、彼らと話し合いで問題解決を図るのは、至難の業に違いないのだ。

 理由は、朝鮮の人々、彼ら自身が一つに纏まれないからだ。
 日本に関する対応にしても、南の朝鮮人と、北の朝鮮人と、在日の朝鮮人と、それぞれ違うことを主張するだろう。その誰を相手に真面目に話し合いを行っても、結局、朝鮮全体に対する解決に繋がらないのだ。

 この現状を解決する唯一の手段は、朝鮮半島の遠い目標である再統一に向けて、現実的な第一歩を踏み出す事しかないように思える。
 もし、中国の力をバックにした北朝鮮主導の再統一を、人々が望んでいるのでなければ、韓国は日本やアメリカと共に、根気強く同じ方向へ歩む必要がある。
 少なくとも、韓国一国の力では、再統一を成しえない以上、文在寅政権は今の政策を反省する必要があるのは明らかだ。
 そしてもう一点、アメリカによる安易な北朝鮮容認が、この事態を悪化させる方向にしか動かない事を、トランプ政権も早期に理解する必要がある。


2019年11月17日日曜日

麻薬と罰の重さと社会の関係

 最近、「麻薬の使用に関して、もっと刑罰を軽くする必要がある。」という主張をTVなどで耳にする事がある。
 「大麻合法の国がある。」とか、「刑罰は、ボランティア活動など社会貢献活動で済んでいる。」という、外国での話を引き合いに出しての主張が多い。
 
 この機会に、刑罰と社会の関係を、もう一度考えてみたいと思う。

 刑罰の重さは、対象となる事象(犯罪)がどれだけ社会に根差しているか。という論点がある。
 例えば、禁酒法を考えてみるとわかりやすい。
 酒は、産業としても、娯楽としても、現在の日本社会に深く組み込まれている。健康への影響が取り沙汰されても、禁酒法は直ぐには実行出来ない。
 仮に実行したとしても、重罰には出来ない。おそらくは違反者が多数出てしまい、とても刑務所に収監しきれないだろう。このような状況で国が法制化するとしたら、刑罰を軽くして、違反者を簡単に許すしか選択肢はない。
 数が多くなれば、違反者はボランティア活動、という程度で許される事にも繋がるのだ。

 こう考えてみると、麻薬の刑罰が軽い国には、麻薬がはびこっている事に気が付く。
 麻薬がその国の社会に深く食い込み、生活の手段になり、国民の多くに使用が広まっている。その結果、重罰にしたくても出来ない、といったジレンマが生まれるのだ。
 
 勿論、刑罰の重さや、社会貢献活動の導入は、それだけが理由では無いが、今回は社会の状況との関係を考察している。 
 罰を軽くした結果、日本社会がどこへ向かうのかも知った上で議論して欲しいと思う。


もし、交通事故死を防止したいなら

  交通事故死を防止する為に、道路の通行を禁止する。 これを良案と思う日本人は、とても少ないであろうと思っていた。 その内、誰もがその愚に気づき、世の中も落ち着きを取り戻すと考えていた。 しかし、驚くことにこの手の考え方が、日本中の、特に地方を中心に燃え盛っている。 確かに、道路...